タモリの週刊ダイナマイク

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タモリの週刊ダイナマイク
愛称
放送方式生放送
放送期間1990年4月14日 - 2005年3月27日
放送時間日曜日 19:00 - 21:00(120分)
放送回数
放送局ニッポン放送
制作
ネットワークNRN
パーソナリティタモリ
出演堂尾弘子
上柳昌彦
畑中秀哉
高橋良一
荘口彰久
福永一茂
吉田尚記
テーマ曲A列車で行こう
企画
プロデューサー
ディレクター
提供
公式サイト
特記事項:
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タモリの週刊ダイナマイク』(タモリのしゅうかんダイナマイク)は、ニッポン放送にて1990年4月14日から2005年3月27日にかけて(断続的に)生放送されていたラジオ番組である。タモリ冠番組

概要

当番組のメインパーソナリティタモリと、時折合いの手を入れる放送作家橋克弘の暴走も名物だった。

1996年度以降は、ナイターオフシーズンの10月から翌年3月までの生放送を実施していた。2005年10月からは、番組タイトル名や主なコーナー・企画が全面的に変更(『ブリタモリ大百科事典』参照)されたため、当番組名での放送は2004年度のシーズンが最終となった。

エンディングテーマは、1994年10月1日の放送から「A列車で行こう」が用いられている。

普段のテレビ番組で見せる姿とは少し違う、暴走するタモリが垣間見られる稀有な番組であり、とくに土曜日昼帯時代の、暴走を制止するツッコミ役・上柳昌彦(ニッポン放送アナウンサー)とのカラミは、絶品であった。

タモリの口から「やる気のある者は去れ」「焼きそばになるな」「全裸に○○してバイナラプー」などの名フレーズも飛び出した。

タモリと堂尾の吹っ切れた演技が聴きどころの「ゴン太くんとミー子ちゃんのどんな塩梅かな?」を始め、数々のコント、年初めに「今年の予定」として完全にテーマを決めてマラソン展覧会等月別に世界各国のイベントを紹介。完全にネタハガキのリクエストも名物だった。

一部新聞のラジオ欄では、『タモリの週刊ダイナマイト』誤表記されたことがある[1]

出演者

メインパーソナリティ

フォロー役

アシスタント(歴代)

2004年度のタイムテーブル

略史

1990年代

  • 1990年4月14日、土曜日9:00〜11:30で番組がスタート。放送時間は当時2時間30分。当初はニュース・情報番組としてスタート。初代アシスタントはくり万太郎こと高橋良一、1991年から鯖千代こと上柳昌彦。
    • (当時のコーナー:おとなの疑問・クイズ カジノロワイヤル・大江戸事件帖・ねずみ小僧プレゼント 等)
      • (当時のキーワードとして…陽気なカンちゃん、獅子ヶ原虎子、芸能クイズ王ことぬらりひょんは喫茶店オズに入り浸り、小手指行き、オープニングギャル雅子、蕎麦屋はクイズの解答率が悪い等)
  • 1992年4月4日、前番組『三宅裕司のどよーん!』を担当していた三宅裕司が日曜朝へ移動(『裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30』)したため、土曜14:00〜16:30のNISSANラジオパラダイス日産自動車一社提供)枠に移動、放送時間変更に伴いジングルが一新される。
    • (三時の疑問・あいうえ音楽会・ぬらりひょんを探せ・はひふへ放送塔)
  • 1993年4月3日、放送開始時刻土曜13:00に繰り上げ(Jリーグ中継により13:55または14:55までの短縮あり)
  • 1993年10月2日〜1996年9月28日、放送時間が13:00~15:00の2時間に短縮(Jリーグ中継放送時は短縮あり)
    • (クイズ喫茶 かずよし・昼下がりの疑問・日産音楽相撲 土俵でドン!!) - 1996年7〜8月、オリンピック取材でアトランタ滞在中の上柳へ深夜、イタズラ電話を繰り返す。
  • 1996年10月11日、金曜18:00〜20:00に移動[2]、(※夜19時以降はNRN系全国ネット、以後ナイターオフシーズン放送に移行)。
    • (<18時〜>51歳自由業・東総信 美女対談・森田インターネッチョ <19時〜>大人の疑問[3]・アジア天文研究所別館・季節のおたより 等) - 上柳の離婚をネタに凄絶なイジメが展開される。シーズン最終回(1997年3月28日放送分[4])は『タモリの週刊ダイナマイクファイナル』として番組の歴史をごく僅かな資料で振り返った。
  • 1997年10月10日から関東ローカルに戻り、放送時間は金曜17:40~19:00。このシーズンのみ『タモリの週刊ダイナマイクリターンズ』として放送。
    • (52歳自由業 <18時〜>おとなのニュース・東総信 タモリの美女対談・Just Now・思い出の夜 そして…ギャランドゥ・季節のおたより)
  • 1998年10月11日から半年、日曜18:00〜19:30 アシスタントは荘口彰久に交代(放送内でのマイクネーム熊井。上柳が『テリーとうえちゃんのってけラジオ』に抜擢のため)。
  • 1999年10月8日から半年、金曜18:30〜19:30(19:00以降は全国ネット
    • (54歳自由業・荘口彰久のザ・ウィークポイント <19時〜>Just Now2000・頑張れニッポン!タモリです。・今週のプレゼント・永井美奈子のJOAスポーツミニッツ・季節のおたより&ためになる法則シリーズ)

2000年代

  • 2000年10月7日から半年、土曜19:00〜20:30(全国14局ネット)※キー局であるニッポン放送は8回の放送休止。
    • (55歳自由業・ニュースと私・世にもチン妙な千一夜物語・東京ウラ筋マップ21・ドクター一義の乙女の診察室・ジャストナウ特上・20世紀のリクエスト・季節のおたより 等)
  • 2001年10月5日から半年、関東ローカルに再び戻り、金曜17:30〜19:00に『タモリのヨッ!お疲れさん フライデースペシャル』として、週刊ダイナマイクのタイトルを一旦替える。アシスタントはスポーツ部アナウンサー福永一茂(タモリ命名のマイクネームは豆入りおかき
    • 好みのタイプがフジテレビ・梅津弥英子アナだった福永アナ、タモリ・堂尾にいたぶられる。11月9日 タモリ・ゴルフボール事故のため、上柳昌彦がピンチヒッターを務める。
  • 2002年10月6日から半年、日曜16:00〜17:30 「NTTコムウェアサンデースペシャル タモリの週刊ダイナマイク」となる。
    • (57歳自由業・今週のニュースつまみ喰い・超入門IT大革命 情熱の買い物カゴ・森田結婚相談所<11月より森田運命相談所> <17時〜>アニマルプラネッツ・季節のおたより 等) - 荘口彰久がアシスタント復帰。タモリのインチキタロット占いで、多くの相談者が人生を左右される。井上陽水がゲスト出演、「コンサートで最前列にいる人は、人間的に上品じゃない」という名言を残す。エンディングの「じゃあ私はこの後○○のバイトがありますので、全裸に○○してバイナラプー!奥さん、それは○○じゃないよ」の定番フレーズが誕生した。
  • 2003年10月5日から半年、日曜17:30〜18:50 
    • (森田運命相談所 <18時〜>種の起源・社長さん登場・何かにでる日本地理・季節のおたより 等) - コント「世界音楽家列伝」に「ニセ大橋巨泉」登場、タモリの「巨泉の死因は他殺」発言飛び出す。このシーズン荘口は18時台のオープニングで「ミスターピローン」「二代目熊井荘右衛門」など放送作家・橋氏考案のあだ名で紹介された。
  • 2004年10月31日から5ヶ月、日曜19:00〜21:00
    • 荘口の退社によりアシスタントが吉田尚記に交代。3月20日、27日には吉田が新婚旅行先の南米から電話で登場。南米ということで、吉田が放送中に初代インカ皇帝の名を言わされる。スタジオに入る代わりのアシスタントは20日が山本まゆ子、27日が垣花正[5]
  • 2005年10月8日から、土曜19:00〜20:30に『ブリタモリ大百科事典』と改名し再スタートをすることに。フォロー役も、前身の『だんとつタモリ』から務めた堂尾弘子から山本まゆ子へ交代となる。

備考

  • 1992年4月の土曜午後帯への移行以来、当番組のタモリ(&堂尾)出演部分は、あらかじめ金曜午後(『笑っていいとも!』(フジテレビ系列))の生放送終了後から『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)生放送開始までの間)に録音されているという説がある[6]。タモリ、堂尾両名以外に、ニッポン放送のアナウンサーが必ず1名加わっていたのは、途中の交通情報や天気予報を生で読むためのスタンバイ要員でもあったためで、土曜午後帯では、天気予報の原稿読みを堂尾が上柳アナに振ったり、日産ショールームからの生中継(音楽相撲・土俵でドン!)では、タモリが中継先を呼ぶフリの際に不自然な部分があり、そこを中継先のアナウンサーがフォローするということも発生していた。
  • 14時のコント、大人の疑問と並ぶ名物コーナー「大人のニュース」で、その週のニュースをアナウンサーが数項目読んでいく部分では、「タモリ部分とともに録音した後、重要ニュースが発生した場合に、それについて触れていないのは不自然」という配慮から、突発事件などが発生した場合は、アナウンサーが当日録音(もしくは生読み)して直近の話題までをフォローすることにより、“生放送感”を作り出していたようである。
  • 1997年にニッポン放送は台場へ一時移転するが、この番組はタモリの要望もあってか、分室として残った有楽町の旧本社で収録が行われていた(ただし、台場のスタジオで当番組の収録が行われた[7]ことはある)。そのため上柳アナは当番組のために台場-有楽町間の移動を余儀なくされ、番組内でそのことに対して二人に愚痴をこぼしたことがあった。
  • ラジオへの注力度合いが非常に高い、タレントの伊集院光に「タモリさんを誰よりもやる気にさせられる人」と言わしめた上柳アナが当番組を外れざるを得なかった理由の一つには、「(自身が出演している)のってけラジオの生放送中に、ダイナマイクの収録が始まってしまう為、物理的に参加できない」というのも、少なからずあったようである。前述されている、2001年11月9日のタモリ不在の日は、通常生放送にはスタンバイしていない堂尾も、上柳アナとスタジオに入り、完全生放送で番組を進行していた。
  • 番組メインパーソナリティのタモリが、ニッポン放送の経営権がライブドアに移ったらニッポン放送の番組には出演しないことになると報道されていた。よってライブドアにニッポン放送の経営権が移った場合、この番組も2004年度(2004年10月-2005年3月)をもって終了してしまう可能性が高かったが、4月のフジテレビとライブドアの和解・経営権がフジテレビになったことによって2005年10月に番組名を『ブリタモリ大百科事典』に改名・フォロー役交代などを行った上で、番組再開が決まった。
  • 四字熟語並び替えは、実在する四字熟語をアナグラムで珍妙なフレーズに変えたものを出題し、元の熟語を当ててもらうというクイズ。代表的な出題例は、「しんおちんこ」→温故知新、「まいこもあい」→曖昧模糊、「にせちんしゅういち」→一日千秋など。特に「まいこもあい」はタモリの琴線にいたく触れたらしく、番組中延々と、舞妓を演じるモアイの物まねが演じられたことがある。
  • 放送中にはアルファベット3文字の略語が度々タモリの口から発せられていた。代表的なものは、「(そんなことは)OTT」→「おいといて」・「(そんな話は)KKS」→「これくらいにして」・「(そんな話は)MKD」→「また今度」等。
  • 番組晩年はインターネットがすでに普及していたため、2003年度にミニサイズの公式サイトが開設されたが、終了後の2004年度は2003年度のページのまま更新されず放置状態となりニッポン放送の番組タイムテーブルのページからもリンクができなくなり2005年まで残された後、そのまま閉鎖された(「www.1242.com/tamori/」)。

関連項目

外部リンク

ニッポン放送 土曜9時 - 11時30分
前番組タモリの週刊ダイナマイク
(1990年4月 - 1992年3月)
次番組
サブロー・シローの
土曜は特ダネーター
吉幾三の
いくぞ!土曜だ!本気で勝負
ニッポン放送 NISSANラジオパラダイス(日産自動車一社提供枠)
三宅裕司のどよーん!タモリの週刊ダイナマイク
(1992年4月 - 1996年9月)
あとちゃん・山瀬の
歌のギャップ10
ニッポン放送制作・NRN系列全国ネット 金曜ナイターオフ期番組
1995年度
上柳昌彦の花の係長 ヨッ!お疲れさん
1996年度
タモリの週刊ダイナマイク
1997年度
山本元気のヨッ!お疲れさん
〜メオトバンザイ!〜[8]
1998年度
師岡正雄のヨッ!お疲れさん
1999年度
タモリの週刊ダイナマイク
2000年度
吉田拓郎
Super Music Stadium
ニッポン放送 金曜ナイターオフ期 18時台ワイド番組
1995年度
6時だョ!加トちゃんのビバノンラジオ
全員集合
1996・1997年度
タモリの週刊ダイナマイク
1998年度
師岡正雄のヨッ!お疲れさん
2000年度
松本ひでお石川みゆき
ヨッ!お疲れさん
2001年度
タモリのヨッ!お疲れさん
フライデースペシャル
2002年度
ショウアップナイターニュース
ニッポン放送制作・NRN系列全国ネット 土曜ナイターオフ期番組
1999年度
玉川美沙の
Saturday Sound Walker
2000年度
タモリの週刊ダイナマイク
2001年度
単発枠
ニッポン放送 日曜16時 - 17時30分
原千晶の
Sunday Sound Walker
タモリの週刊ダイナマイク
(2002年10月 - 2003年3月)
笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ

脚注・出典

  1. いわき民報1996年10月縮刷版、249頁。
  2. なお、月曜から木曜までは『上ちゃん→うえちゃんのホッとラジオ ヨッ!お疲れさん』を放送していた(ただし、『ホッとラジオ~』は21:00までの放送だった)
  3. このコーナーは全国35局ネットで放送
  4. ただし、一部の局では1997年4月4日放送分が事実上の最終回となった
  5. 『NISSANラジオパラダイス』枠時代に、「音楽相撲・土俵でドン!」コーナーの進行役を務めていた
  6. 2005年1月2日分の放送では、オープニングトークでタモリ自身が「基本的にまだ年内ですからね」と発言したり、20時前のフリートークではタモリが吉田アナに「暮れの紅白(歌合戦)どっち勝ったの」と話を振って吉田アナが返答に詰まる様子が流されていた。
  7. 1997年3月21日放送分
  8. ニッポン放送と一部の局では『オールナイトニッポンDX』を放送。

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